元SM嬢の母と体験した近親相姦SMプレイ10選
石田ゆり子風な実の母との禁断の近親相姦。そんなシチュエーションを想像するだけでドキドキする男性も多いのではないでしょうか。
実際に自分の母親と…と考えると理性が働いてしまうかもしれませんが、だからこそ自身では体験できない行為を覗き見してみたいという欲求が働いてしまうもの。
こうした男性の願望を叶えるべく、AVや官能小説・漫画の世界には数多くの近親相姦モノの作品が存在します。
けれどもし、禁断の近親相姦を実際に体験している男性がいたら、それも普通の性行為ではなくSM調教を受ける関係であるとしたら、とても興味深いものがありますよね。
今回は実の母からSM調教を受けていたという男性とコンタクトを取り、その詳細を話していただきました。
どんなSMプレイを経験したのかについても語っていただいたので紹介したいと思います。
元SM倶楽部のS嬢だった母
僕の母は元SM倶楽部のS嬢でした。僕が小学校を卒業する頃まで現役で働いていたと記憶しています。
母にはよく“これ、ママよ。綺麗に撮れてるでしょう”と、ボンデージ姿の母が載っている雑誌を見せられました。
雑誌といってもそれは風俗雑誌。その事に気付いたのは20歳近くなってからだったので、子供の頃は本に載るなんて僕のママはすごい人だと思っていました。
ちなみにSM倶楽部を引退した母は占い師に転身。“女王様として人を見る目は養ってきたから”というだけあって、当たると評判で顧客も多くいるようです。
躾という名の近親相姦SMプレイ
たとえSM倶楽部で働いていたとしても、子供にはそう言う片鱗を見せないのが一般的なんじゃないかと思います。
けれど僕の母は違いました。子供の躾にSMプレイを取り入れるような人でした。
まあ、ボンデージ姿の自分が載った雑誌を子供の僕に見せるくらいなので、母にとってSM趣味は特別隠し立てするような事でもなかったのかもしれません。
僕は生まれた頃から父親がおらず、母と二人で暮らしていたので、母の“躾”を止める人がいなかったというのも、躾が近親相姦SMプレイに発展した要因と言えると思います。
また、今でこそ母と僕の関係は普通ではなかったと思えますが、よその家庭の事情を知るきっかけもなかった僕にとっては母との近親相姦SMプレイに強い疑問を持つ事もありませんでした。せいぜいうちは少し変わっているな、と思っていた程度でした。
とはいえ、母から受けるSMプレイを歓んで受け入れていたわけではなかったのですが。
僕が体験した近親相姦SMプレイ
実際、僕はどんな近親相姦SMプレイを受けていたのか、以下にまとめてみました。
オムツプレイ
僕は小学4年生までオムツを着けていました。
オムツと言えば赤ちゃんの頃なら誰でも着けるもの。そして幼稚園に入る頃を境に卒業していくのが一般的ですよね。
けれど僕の場合、ある程度物心ついてからもオムツでオシッコをするよう母に言われていました。
“どうせ漏らすでしょう?”
それが母の言い分でした。
幼稚園の頃、オシッコがしたくなって自らトイレに行きたいと言った事があったそうです。母が僕のしたいようにさせたところ、便座に跨がる途中で漏らしてしまい、トイレの床や便座がオシッコで汚れてしまったとの事。
それ以来母は僕がトイレへ行くのを禁じ、オムツで用を足すようにさせたようです。
幼稚園の頃の記憶はほとんどありませんが、小学生の頃の記憶ならある程度あります。
母と外出した時など、周りの子はみんなトイレへ行くのに、僕はオムツの中でオシッコをする。それがとても恥ずかしくありました。
それでも母の目が届かない学校ではみんなと同じようにトイレで用を足していたので、変な目で見られる事はなかったと記憶しています。
ちなみにオムツ換えは母が行っていました。
小学生にもなると自分で脱着出来るものですが、
“オムツ換えはママがするものでしょう?”
という理由から、僕は赤ちゃんのように床に寝かされ、
“今日もたくさん出たわね”
“こんなにお漏らししたの?”
などと、言われながらオムツを換えられていました。この時の母はとても楽しそうだったので、母にとっては育児や躾の一環というより、プレイとして楽しんでいた節があったのではないかと思っています。
こうしたオムツプレイを卒業出来たのは小学4年生の時。さすがにオムツはもうおかしいと思った僕が母に直談判したのがきっかけです。
“一週間オムツを外して生活しておもらししなかったら”
を条件に、オムツを外してもらい母から提示された条件をクリアできた事から無事オムツを卒業出来たのでした。
母は心なしかつまらなさそうにしていましたが、僕にとってはようやく友達と同じようにパンツを穿けると嬉しく感じた出来事でもありました。
言葉責め
オムツプレイでの母の発言からも垣間見えるように、母は事あるごとに言葉責めを行います。
母が意識して行っていたのかは分かりません。もしかしたら職業病で自然と出てくるものなのかもしれません。
“こんな問題も分からないなんて恥ずかしくないの?”
“人間以下のサルみたいに喚くんじゃないよ”
特に勉強が出来なかったり、僕がワガママを言ったりした時などはこんな言葉で責められました。
また、時には当時の僕の知識にはない言葉で叱責される事もあります。僕が意味が分からないと言うと、
“意味が分からないなら辞書で調べな、そんな知恵も回らないなんて犬畜生と同じだよ”
とさらに責め立てられます。おかげで母の言葉はもちろんの事、テレビや本などで意味の分からない言葉に出くわすと辞書で調べるクセがつきました。